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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)131号 判決 1955年10月28日

控訴人 原告 中島保

代理人 鍛治良道

被控訴人 被告 板橋信用金庫

代表者理事 上杉良雄

訴訟代理人 高桑瀞

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取り消す、被控訴人は控訴人に対し金五〇万円及びこれに対する昭和二八年九月二五日から昭和二九年三月二五日まで年五分一厘、同年三月二六日から右完済に至るまで年六分の各割合による金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする、との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、双方各代理人において次のように陳べたほか、原判決の事実摘示のとおりであるからここに右記載を引用する。

控訴代理人の当審における新たな陳述。

一、本件預金の預入行為は現実には、訴外斎藤三三九が控訴人の使者として、控訴人の金員を持参の上これをなし、その際斎藤は被控訴人に対し控訴人の名を示さずして本件預金のための印章を届け出たものである。右印章を最初から現在まで所持しているのは控訴人である。

二、本件無記名定期預金証書には、預金者の氏名は表示されておらず、この点で指名債権と異り、又取扱金融機関は、預金証書と届出印章を以て預金の払戻しを求めた者に対しては、その支払を拒み得ないものであつて、被控訴人は本件預金証書の所持人である控訴人に対し、預金元利金の支払を拒み得ない。

三、仮りに右の如く無記名債権と目すべきではなく、預金債権者は預金者に特定せられているとしても、現実に預金預入行為に当つた者がその預金者であるとは限らない。本件預金は斎藤が預金を仲介することにより自ら融資を受け得るからといつて、控訴人に預金することを依頼し、すすめたので控訴人は頼みをきくこととし、その所有の金五〇万円を斎藤に交付しこれを無記名預金として預け入れることを依頼し、斎藤は控訴人のこの依頼によつて本件預金をしたものであつて、預入者は控訴人である。

四、無記名預金においては預金者の氏名はこれを秘匿するものとし、その関係上預金者は預け先金融機関に対しその氏名を告知する必要なきものとされており、ただその預金たるの性質を失わしめず、かつ、預金証書の紛失、盗難等の事故があつた場合に預金者の保護をはかるため、預金者は預金預入にあたり印章を取扱金融機関に届け出るものと定められ、金融機関は預金者に対し預金証書と印章とを以て当該預金の払戻しを求めて来た場合、その印章が届出のものと同一であると認められるときにのみその払戻しをなすべきものとされている。

五、右のような無記名定期預金制度からすれば、本件預金の預金者は特定しているものとも考えられる。本件無記名定期預金は普通の指名債権のように氏名を以て債権者を特定することをせずこれとは別個の方法により特定するにすぎず債権者の氏名を表示しない一種の指名債権といえよう。

六、それでは本件無記名定期預金の預金者は何によつて特定すべきであろうか。

普通預金においてすら預金者以外の者(使者又は代理人)が直接に預金者本人の名において預金預入をなす事例の存することは公知の事実であり、しかも本件無記名預金は普通預金と異り、金融機関に対して預金者の氏名を告知する必要はないのであるから、本件預金の預入行為をなした者を以て預金者なりと断ずることはできない。このことは印章の届出行為についても同様に妥当し、届出行為者は必ずしも真実の届出者とは限らないからこの点で預金者を特定することはできないのである。

そこで先ず注目すべきは本件無記名定期預金の預金者は預入にあたり印章を届け出ることになつている事実である。そして金融機関は預金証書と届出印章とを以て預金払戻しを請求する者に対してその預金の払戻しをなすのであるから、右印章の届出は以後当該預金の一切の処分(払戻しを受けることもその一例である。)につき使用せらるべき印章を特定し、その旨を取扱金融機関に対して表示することである。そして当該印章を以てのみ当該預金を処分し得るものなることを決定し得る者は、当然当該預金を支配し処分し得べき者である。当該預金をなすにあたりその預金を当然支配し、処分し得べき者とは、当該預金を自己の預金とする意思を以て金員の預入をなした者以外にはあり得ない。

従つて本件無記名定期預金の預金者は実体的にこれを規定すれば、「当該預金を自己の預金とする意思を以て金員の預入れをなした者」となり、形態的にこれを規定すれば、「当該預金預入にあたり取扱金融機関に届け出でられた印章を、当該預金に関する限り、実質上支配し得る者」となる。

勿論事実上の預入行為、印章届出行為は預金者本人がなすとは限らず、行為者は預金者の使者又は代理人たる場合があり得べく、従つて何人が届け出でられた印章の正当な支配者であるかは、金融機関にとつては必ずしも明確でない場合が多々あるであろうが、このことはこの制度が徴税免税の目的による預金者氏名の秘匿を狙つたものである結果避けることのできないものであつて、金融機関としては、預金払戻し等のため必要があれば払戻請求者が届出印章の正当な支配者であるか否かを調査する権利はあるであろうし、又仮りに正当な支配者でない者にその事実を知らないで預金を払い戻したとしても、届出印章を以てする払戻請求者に支払つた以上は既述の無記名定期預金の制度上その支払は有効とされるので不都合はない。従つて届出印章の正当な支配者が金融機関にとつて必ずしも明かでないとしても上叙の預金者についての判定を左右し得るものではない。

七、以上の観点より本件預金者が何人であるかを見れば、控訴人がその預金者であることは明瞭である。

八、控訴人、被控訴人及び訴外斎藤三三九間において、控訴人が被控訴人に対し本件定期預金の払戻しを請求しない趣旨を含む被控訴人主張のような契約が成立したことは否認する。

被控訴代理人の当審における新たな陳述。

一、本件無記名定期預金は定期預金たる性質を失わず、そして預金者は預金をするにあたり印章を金融機関たる被控訴人に届け出ずべく、右預金は売買、譲渡又は質入を禁止せられているのであるから性質上無記名債権でないことは疑をいれない。従つて本件預金の預金証書及び印鑑が訴外斎藤三三九から控訴人に移つたからとて、直ちに預金債権が控訴人に移転するものではない。そしてこの無記名定期預金が記名預金と異るのは、預金証書に預金者の誰なるかを表示せず、又第三者に誰が預金者であるかを知らせないという点にあつて、現金を受け入れ又満期に払戻しをする立場にある金融機関としては、何人がこの預金者であるかを知つていて悪い訳ではなく、却つて真の預金者が誰であるかを知つておらなければ、適法なる払戻しもできないわけである。金融機関としてはたとえ満期にある者が預金証書と届出印鑑を以て払戻しを請求しても、その者が真の預金者でないことが明かな場合は払戻しをすることはできない。ただ払戻請求にあたり提出された印鑑が届出印鑑と同一であることを確認した上、善意で支払をした場合にはたとえその者が真の預金者でなかつたとしても免責されることになつているというに止まり、金融機関としてはあくまで真の預金者は何人であるかを確認して払戻しをするのが原則であり、預金証書及び届出印鑑の所持は真の預金者なりや否やを決定する一資料に過ぎないものである。

なお、真の預金者が何かの事情で預金証書を所持しない場合でも、その者が預金者であることを確認する方法をとつた上それが確認されれば払戻しをする立て前になつていることからいつても、又、若し預金証書と届出印鑑を所持する者が直ちに預金者であるということになれば、預金者は証書と印鑑を他人に交付することにより容易に事実上預金債権の売買、譲渡又は質入をなしたと同様の結果を作り出すことができ、前記の売買譲渡、質入の禁止は空文に帰する点からいつても、預金証書及び届出印鑑を持つている者が預金者であるとすることはできず、従つて控訴人がこれらを所持しているから預金者であるとはいえない。

二、被控訴人のもとに本件預金の預入に来た者は訴外斎藤三三九である。右訴外人は控訴人の代理人又は使者として預入に来たものではない。若し控訴人において自己を預金者とする預金をする意思であつたとすれば、斎藤三三九と刻しある右訴外人の印章を以て預金せしめることは首肯できず、自己の印章を使用せしめるのが常識である。

右訴外人は被控訴人からの貸出の枠を増して貰うには同訴外人を預金者とする預金をなし、これを裏付けとしなければならぬ事情があつたためこの事情を控訴人に話し、控訴人もこれを諒として右訴外人を預金者とする預金をなさしめるために金五〇万円を右訴外人に貸与したもので、本件預金をなす動機が斎藤の右のような目的に出たものであるから、同訴外人としては当然自己の預金として預け入れる意思であつたし、又、被控訴人としても貸付の枠の増加の裏付けとして右訴外人の預金として預つたものである。即ち本件預金はその当初から何人が預金者であるかあいまいな裡になされたものではなく、判然と斎藤の預金として預け入れられたものである。控訴人としてはたとえ同訴外人を預金者とする預金をしても、預金証書と印鑑を同人からとり上げてさえおけば、通常の場合右訴外人が勝手に預金を引き下げることはできないであろうというところから斎藤に対する担保の意味か、或いは預金債権の譲渡禁止を潜脱するために握つていたものとしか考えられない。

三、仮りに本件預金が控訴人のものであるとしても、昭和二九年三月二五日頃控訴人、被控訴人及び斎藤の間において、紛争を止めるため、控訴人は被控訴人に対し本件預金の払戻しを請求せず、控訴人は右訴外人から同年六月末日までに五〇万円の弁済を受けることとし、右弁済を確保するため控訴人は右訴外人からその所有の東京都板橋区板橋町九丁目一九五五番地所在木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建作業場一棟建坪三一坪五合に抵当権の設定を受けその登記を完了し、以て一切を解決したものである。従つてこの点からいつても控訴人の請求は失当である。

証拠の関係は、控訴代理人において新たに甲第六号証の一、二、第七号証を提出し、当審における証人斎藤三三九の証言及び控訴本人の訊問の結果を援用し、乙第九号証の成立は不知と述べ被控訴代理人において新たに乙第九号証を提出し、当審証人斎藤セツ、神谷嘉芳、村沢秀次、斎藤三三九の各証言を援用し、甲第六号証の一、二の成立は認めるが、甲第七号証の成立は不知である、と述べたほか、すべて原判決の事実らんに証拠として記載してあるとおりであるから右記載を引用する。

理由

一、被控訴人の取り扱う無記名定期預金の性質、その預け主の決定について。

裏書の日附、控訴人署名及びその名下の印影の部分を除いて成立に争なく、この除外部分は弁論の全趣旨により控訴人の作成に係るものと認められる甲第一号証によれば、右無記名定期預金においては、預金元利金は満期日に預金証書と引換えに支払うべき旨、預金債権の譲渡及び質入は禁止する旨、預金の払戻し、継続の請求は預金証書の裏面に記名の上、あらかじめ届出の印鑑を押してなすべき旨及び被控訴人において預金証書と右届出の印鑑とを以て請求する者に対し、支払、預金継続のための証書書換え等の手続をしたときはその後は一切責を負わない旨の各特約事項が預金証書上に記載されていて、右証書には預け主の表示はなされず証書の番号の記載がなされるのみであることが認められ、次ぎに、原審証人神谷嘉芳の証言によつて成立を認める乙第六号証(そのうち振替○なる部分に押してあるのを除くその余の斎藤の印影及び中島の印影の部分の成立については当事者間に争がない。)と当審証人村沢秀次の証言によれば、被控訴人において無記名定期預金の預入を受けるにあたつては、預金者の氏名、住所をきくことなく、預金をする者もこれをいう必要がなく、被控訴人は現金を持参した者が果して預金者であるか否かを知らないままに、預金する時印章(それは預け主を示す印たるを要しないのみならず、虚無人名義のものでも何でもよい。)を所定の申込用紙に押させ、被控訴人の無記名定期預金元帳なる帳簿にこの印章を押した上で、この者に対し宛名の記載のない定期預金証書を発行、交付し、被控訴人の右帳簿にこの証書の番号を控えるというのを立て前とするものであるが、客によつては申込用紙に預け主の住所、氏名を記入する者もあり、被控訴人においても場合によつては右元帳に覚えのため預け主の住所、氏名を記載することもあるという実情にあることが認められ、又前記甲第一号証の裏面の定期預金規定第四項、第六項と原審並びに当審証人神谷嘉芳、当審証人村沢秀次の各証言を綜合すれば、預金証書、印章の紛失、盗難等の場合にも一般定期預金に準じ、ただ若干慎重な手続を経て払戻しがなされるものであつて、無記名定期預金と雖も、普通の記名定期預金との間に証書面上の預金者の氏名が表示されず、又一般に被控訴人においても預金者の何人なるかを確知し得ないのが本則であるという差があるに過ぎないことが認められる。

右の事実からすれば、被控訴人の扱う無記名定期預金なるものは無記名債権であるということはできず、一種の指名債権であることは否定し得べくもない。そして預金者の何人なるかを確かめることなく、印鑑(それもいかなるものでもよい。)だけで預金契約を結ぶのを立て前とするこの無記名定期預金においてそれが、特段の事情を伴わず右のような理想的形態で行われた場合に、真の預金者が誰であるかの判定に困難な場合の生ずることは容易に想像できることであるけれども、さればとて無記名定期預金と雖も要するに一つの契約である以上、預金契約の成立にあたつてたまたまなされた預金者が誰であるかについての明示又は黙示の意思表示がある場合には、(預金者においてその自己の預金なることを相手方に知らしめるにつき、特別の利益をもつ場合もあるのである。)かような意思表示なるものが無記名定期預金契約の本質に反するもとのとして無視さるべきいわれは前記認定からは出て来ないし、又本件にあらわれた全証拠によつても肯定できないのであつて、前記認定からいえることは、たかだか本来預金者の何人なるかを示す必要のない場合であるということを考えて、預金者を示す意思表示特に黙示の意思表示があつたとなすにはそれだけ配慮を要する、というに尽きると考える。例えば、被控訴人に知れた存在である者が預金に来て、自己の預金なることを特に明示し、被控訴人においてこれを承けて預金契約をしたという場合には、この意思表示によつてその者を預け主とする預金契約が成立したものとなすべく、かかる表示によつて無記名定期預金たるの利益を喪失するの危険が生ずるにしても、それは預金者が自ら選んだ不利益として甘受しなければならないというだけのことであり、この不利益の故に遂に右の意思表示を無記名定期預金の本質に反するものとして無視すべきいわれはないのである。

そこで、黙示の意思表示による預け主の決定について考える。預金に来た者が被控訴人に知れた存在であり、そして自己の氏名の刻しある印章によつて-自分が預け主たる旨特に名乗ることなく-預金をした場合にも、前記の如く無記名定期預金に使用さるべき印章はいかなるものでもよいという点から、右印章は単に符牒としての意味しかもたず、刻しある氏名にはそれ以上の意味を認むべきものでないと解することもできるけれども、単に符牒としてならば他人名義のものでも虚無人名義のものでも足り、しかも無記名預金たるの利益を享受するという点だけからすれば、この方がより効果的であり、従つて無記名定期預金としてはこれこそ理想的形態というべきであるのに、敢て自らの氏名をあらわした印章を使用したという面から考え、そして日常生活における印の重要性に対する一般的の認識、人は自分のための行為に殆ど本能的に自分の印を使用する現実等を顧みると、この場合に印の氏名に単に符牒的意味しかないと見るのは、余りに無記名定期預金の本来の理念にとらわれて現実を軽視した見解というのほかなく、この場合にはやはり知合いである預入行為者が自ら預け主であることを一応暗黙に示して預金をしたものと見るのが通常の取引観念に適すると考えられるのであつて、ただ前記の如く印はいかなるものでもよいという立て前のもとでのことであるから氏名の刻しある印章を使用したという一事によつて直ちに自己を預け主とする旨の明示の意思表示があつたとなし得ないのはもとより、(記名預金であれば特段の事情なき限りそれだけで明示の意思表示があつたといえよう。)又同様の理由から右の一事だけでその旨の黙示の意思表示があつたとなし得ないのみである。しかしながら、その預金に来た者が被控訴人と取引関係があり、従来の取引の経過からその者に対する金融の裏付けとしての預金が期待される段階に立ち到つている場合に、かような預金をするつもりで自己の氏名を表示した印章による預金をなし、この預金の故に被控訴人から右の期待された預金がなされたものとして取り扱われ、その者に相応の金融がなされたという場合には、これらを合せて黙示の意思表示によつてその者を預け主とする無記名定期預金契約が成立したものとなすべきであろう。(金融の裏付けのための預金たるには、その者の支配し得るものであることを要するにとどまり、必ずしもその者の預金たることを要しないとはいえるであろう。しかし、その者の支配し得る預金として、かつ、その者の印章を使用しての預金がなされたという場合には、これらを合せてその者の預金がなされたと見るのが相当である。)

これを要するに、被控訴人の取り扱う無記名定期預金においても、明示又は黙示の意思表示によつて預け主が定められることは妨げなく、ただ預金者が誰であるかを表示するを要しないという立て前のもとであるから、かような黙示の意思表示があつたものとするには、この点の配慮が特に要求されるというにとどまるのである。そしてかように既に意思表示上預け主が定められた場合には、それによつて預金者は終局的に確定するのであつて、預金された金が預金の時において実際に誰の所有であつたかは問う必要がないということは預金契約も契約である以上当然のことといわねばならぬ。他人の金銭をほしいままに自己の記名預金とした場合にその者のための預金契約が成立すると同じく、他人にその他人のため預金をすると称して出捐を得た上、明示又は黙示の意思表示によつて自己のため無記名定期預金をした場合には、その者のための無記名定期預金契約が成立するのである。(預入金が預金の時において誰の所有であつたかは、あくまで当該預金が誰のためになされたかを判定する一資料たるに過ぎず、それは無記名定期預金がいわゆるその理想的形態においてなされ、何ら外形的な特段の事情を伴わない場合においては、重要な基準となるであろうけれども、既に預金契約成立に際し明示又は黙示の意思表示を以て預け主が定められた場合に、その預入された金がかくて定められた預け主の所有でなかつたからとて、その者の為の預金契約の成立を否定することは、契約の原理に反するであろう。

二、主として成立の経過を中心としての本件預金についての事実関係について。

前記甲第一号証、乙第六号証、控訴本人の原審における供述によつて乙第六号証の振替○の部分以外に押してある斎藤の印影と同一の印影なることを認むべき甲第五号証、原審証人神谷嘉芳の証言によつて成立を認める乙第一、第二、第四、第八号証に原審並びに当審証人斎藤三三九、神谷嘉芳、当審証人斎藤セツ、村沢秀次の各証言、控訴本人の原審並びに当審における供述(但し、これら証言、供述中後記不採用部分を除く。)を綜合すると本件における事の真相は次の如くであると認められる。

被控訴人はもと板橋信用組合と称し、預貯金の受入れ、資金の貸付け等をその業務の一部として取り扱い来り、昭和二八年六月に現在の金庫となつたものであるが、訴外斎藤三三九は昭和二七年九月頃被控訴人の取り扱う定期貯金に加入して毎月その掛金をなすに至つたのをはじめとして、その頃から被控訴人と金融上の取引をなすこと次第に多くなり、やがて被控訴人のいわゆる客として頻繁に出入するに至り、勢い預貯金事務を取り扱う者との間にも面識の関係を生じ、被控訴人にとつて知れた存在となるに至つた。こうした状態にあつた昭和二八年三月頃斎藤は被控訴人に対し融資の枠の拡大を求めたところ、被控訴人からはその前提条件として金融の裏付けとなる預金をすることを求められたのでこれに応じようと考え、要求されたのは右の如く自ら受けるべき金融の裏付けのための預金であるのに拘らず、漸くその頃知合いとなつたに過ぎない控訴人に対し、被控訴人は金庫に改組するため預金額増加をあせつていて預金の紹介をした者にも金融の枠を拡げる扱いをしているから、自分の金融の枠を拡大して貰うために、控訴人に無記名定期預金をしてくれといつて頼み、控訴人は裏利息(それは本来金融機関に資金を預け入れた者が、右預入に対する謝礼ないし報酬として、預金預入の結果金融機関が貸出資金の余裕を得たために、これから資金貸出を受けることができた者から、貰う金員を意味することは当裁判所に顕著であり、従つてそれは他人の金を借りて自ら預金をした者が、貸主にその借受金に対する利息を支払うという観念ではない。)月三分を斎藤から貰う約束で五〇万円の無記名定期預金(もとより自分のものとして)をすることを承諾した。かくて控訴人は昭和二八年三月二五日五〇万円の現金と預金のための印章とを斎藤に手渡し同人をして預入に行かせたのであるが、以上の経過から当然なように、もとより貸借の証書一枚取ることもしなかつたのであつて、金を受け取つた斎藤三三九と刻した印章を持つて即刻被控訴人の当該窓口に赴き、当時前記のような事情で知合いとなつておりそして融資の枠の拡大に関しての斎藤と被控訴人との間の前記いきさつを知悉している係員に対し、融資の裏付けとなるところの自分を預け主とする預金をするという気持で五〇万円の無記名定期預金の預入を申し出た。そこでは斎藤はあたかも無記名定期預金預入の一般の例の如く、特に預金者の何人なるかを明示することはせず、即ち敢て自ら預金者なる旨を名乗ることもなかつたし、又もとより預け主が他の者である旨の言明や示唆を与えることもなく、ただ無記名定期預金をする旨の申出をし、次いで係員から預金者の印を求められたのに対し右の自己名の印章を提出したのみであり、そして係員によつて被控訴人の無記名定期預金元帳に右の斎藤三三九なる印章が押印され、証書番号第六号を以て金額五〇万円、期間六ケ月の無記名定期預金証書が発行されて斎藤に交付されたというに過ぎなかつたけれども、前叙の経過から右預金は斎藤のものとして取り扱われ右元帳に係員によつて斎藤の住所の記入がなされたし、斎藤の融資の枠は右預金によつて拡大され、斎藤は被控訴人から相応の金融を受けたのである。(疑問なのは、被控訴人がこの時も後に述べる右預金の継続の時にも証書の引上げをしていないことである。或いは被控訴人においては担保に取つても証書の引上げをしない扱いがなされているのか、或いは被控訴人の内規上この二つの時期においては斎藤に対する融資総額が例えば所定の証書引上げを要する限度に達しなかつたというような事情でもあるのか、或いは又単なる係員の手落ちであつたのか、その間の消息は明確でない。)

かくて斎藤は預金をした後控訴人に預金に使つた印章と預金証書を渡したところ、控訴人は斎藤の印で預金がなされているのに不審を抱いたけれども、無記名預金であるから印鑑と預金証書を持つておればよいということでそのままとなつた。なお斎藤としては預金の当初からやり繰りをつけて問題発生を未然に防止するつもりでいたのである。その後この預金は満期が来たので斎藤は控訴人に更に六ケ月継続することを頼み、その同意があつて控訴人の保管していた印鑑と預金証書を受け取り、これによつて継続の手続をとり、昭和二八年九月二五日被控訴人から甲第一号証の証書の発行、交付を受けた上この証書と印鑑を控訴人に渡したのである。その後控訴人において不安を抱くに至り斎藤に秘して自己名(但し通称たる中島保雄として)に改印届をしたところ、それが事情を知らぬ係員によつて受理されたといういきさつがあつた後、斎藤は被控訴人に対し右預金が自分のものであることを確認し、被控訴人との間にその申出により自己の負債とこの預金との相殺勘定をした。要するに、控訴人においては、本件預金は自分のものと思つていたけれども、斎藤及び被控訴人の間ではこの預金は成立の当初からその右終末に至るまで斎藤のものとして取り扱われたのである。

原審証人斎藤三三九の証言によつて成立を認める甲第二号証の記載内容及び前記各証言、供述中右認定にてい触する趣旨の部分は採用し難く、他にこの認定を動かすに足る証拠は存しない。

三、結論

右二、で見た本件預金の成立の経過からすれば、一、において預け主の決定に関して述べたところからいつて、右預金は昭和二八年三月二五日訴外斎藤三三九と被控訴人との間に黙示の意思表示により右斎藤を預け主として成立したものとなすべきであり、その満期に預け主たる右斎藤の申出によりその継続がなされたものとなすべきである。即ち本件預金は斎藤のものである。(二、の末尾で一言した如く、本件預金が成立の当初からその後もすべて斎藤及び被控訴人との間では斎藤のものとして取り扱われているというのも逆にいえばたまたま以て本件預金が両者の暗黙の合意で斎藤のものとして成立したものであればこそ起きた必然の現実としてこの判定を裏付けるものといえよう)。

然らば本件預金が控訴人のものであることを前提とし、被控訴人に対しその支払を求める控訴人の本訴請求は他の争点につき判断するまでもなく失当であつて棄却を免れず、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。よつて民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条、第八九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判長判事 薄根正男 判事 奥野利一 判事 古原勇雄)

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